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小学校の国語の教科書を今の年齢で読み返すと、意外と面白いかもしれない。

これは、遠足や修学旅行で強いられるように行った美術館、博物館、社寺見学が他人事感覚であったように、学校から選択権利も与えられずに観させられた粗末な劇団ミュージカルによってしばらくの間ミュージカル自体への興味を失わさせたように、
どうしようもない文章解析に途方にくれる授業と選択肢の中に筆者の真意があるように唯一の解答を求める(下線部における主人公の気持ちは下記A?Dのいずれであるか?)国語の扱い方に辟易する結果、教科書に載っている名作への関心さえも奪い去っていったことに起因する。

結局、そんなの事実かどうかを筆者本人へ確認するなんてできようもない。であるならば、その解答に至るまでのロジックプロセスに対して採点をすべきだと思うのだ。(オックスフォードでは少なくともそうであり、選択肢問題において教授と異なる場合でも、ロジカルに筋が通って入れば同じ点数ももらうことができる。)
かといって自分が意図しているのは何も手をつないで徒競走のゴールテープをきる“競争”の意味を勘違いした教育手法に同意などまるでしておらず、自分の事として物事を捉え深く考えるためには、Whatの解答だけでなく主語がIのWhy, Why, Whyのプロセスを身につけさせるべきということである。
選択問題にも理由を書かせるべきだし、筋が通っていれば地元劇団のミュージカルなんて見に行かなくてもいいのだ。そんなミュージカル鑑賞、“毎年の慣習だから。”とかそんな程度の浅いWhyで教師が観させているだけかもしれないし。

と遠回りになったが、社会人となり数年経ち少し落ち着いてきたこの頃、博物館や教会などの建築、ミュージカルやコンサートへ自分の意志で行きたいと思えるようになっている。帰ったら10年以上自分の視野にさえ入らなかった、昔の国語の教科書を実家の本棚から取り出し読み返してみたいと思う。きっと当時は気付かなかった感情に出会えるかもしれない。

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2009.03.07 Sat l 未分類 l top
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