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ニュースではアテネ中心の国会議事堂をデモ隊が取り囲み、警官隊と衝突を繰り返す映像が度々流れており、できるだけ中心部には近づかないようにと思っていましたが、実際現地に行ってみると、“あれ?”なんだこりゃ、大変平和な日曜日の午後。そして観光客、多い(笑)。

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こんな平和なクリスマスフェスティバルがやっていました。人形たちのクオリティー悪すぎ(笑)。黄色の方、厚みがなさすぎて子供がジロジロみてます。
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という風景をみて思わず思い出したのが、エドワード・サイードの『イスラム報道』『オリエンタリズム』。ニュース(特にTV)はその映像がドラマティックであればあるだけ視聴者の注目を集め、またその時間的解釈的限界から、いわば現実の超一部を切り取ったものを全体の“事実”として伝達します。つまり、製作者の意思が、事実のニュースになるわけです。これは恐ろしいですね。

うまく流されないように、できるだけ誰かの解釈ではなく自分の目で見る事実を判断材料にしなければと思いました。アテネの衝突ニュースというレベルでも、会社の会議資料のレベルでもそうですが、本当の現場での意見や見解が誰かのフィルターを通して意図的に解釈されたものかもしれないということを、このクオリティーの悪い人形たちを横目にふと思いました。
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2008.12.23 Tue l 未分類 l top
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